21世紀の問題への回答を聖書からいかに得られるか?

各地の美しい多様性の中、メノナイト世界会議(MWC)の「共有の確信」は、加盟教会においてどのように用いられているでしょうか。世界的な交わりと、

信仰共同体として、私たちは聖書を信仰と生活の規範として受け入れ、聖霊の導きにより、イエス・キリストの光に照らして聖書を解釈し、私たちの従順を求める神の御旨を見極めます。

21世紀の問題への回答を聖書からいかに得られるか?

これはたいへんな難問である!

聖書のメッセージには、とても明瞭でいつの時代にも当てはまるものもある。しかし、この世の劇的な変化のため、21世紀の問題には再解釈しないと答えられないものもある。だが、従来の信仰を堅持すべきか、新しい洞察や方向に道を開くべきか、いかに判断したらいいのだろうか。

私たちの地元の教会では、2010年から2012年にかけて、性と結婚の問題、とくに婚前交渉をめぐる問題について、この問いに答えようとした。道徳的問題はこれだけではないし、これが最重要の問題なのではもちろんない。しかし、これは(直接ではなくとも)あらゆる世代に関わる問題であり、ひいては(教会という)家族全体に関わる問題である。

ともに聖書を学ぶ

とても多様な意見や態度があるだろうことはわかっていた。では、各自がしたいようにすればいいのだろうか。それとも聖書から何らかの方向性が得られるだろうか。年配世代には、このプロセスを通して若い世代に正しい教えが明確に示されることを期待する人もいた。一方、かつて教会から厳しい戒告を受けたり、その仲間だったいわゆる「前歴のある子」たちなど、同様のことがくり返されはしないかと心配する人もいた。だから話し合いは慎重に慎重を重ねて進めなければならなかった。

.幸い、世代を異にする100人もの人々がこの話し合いのプロセスに参加し、聖霊の導きに信頼して歩みをともにしてくれたのである。

話し合いは次のような段階をふんだ。

  1. まず聖書研究を個人および小グループで行った。ティム・ゲッダート(フレズノ・パシフィック大学新約学教授)の『オール・ライト・ナウ』にある「神は聖書を通して語る:人にはなぜこうも違って聞こえるのか」の章が役立った。
  2. 最初の晩、私たちは期待と不安、変わりゆく文化、聖書解釈について語り、話し合いの計画を説明した。最終的な目標は、話し合いを通して、拘束力をもたせる事柄と個々人の自由に任せる事柄をともに見極めることであった。
  3. その後、二夜にわたって、外部から講師を招き、性と結婚について聖書の教えと、それが私たちの生き方に意味するものとを理解する助けを得た。そして、セクシュアリティは、限定的で安定した一致に特徴づけられる、生涯にわたる愛の関係に基礎づけられるべきとの結論を得た。
  4. 第4夜は話し合いのハイライトであり、これまでの意見交換から私たちの立ち位置を見極めるときであった。私たちは何を大切にしているか。セクシュアリティと結婚について、どの側面が個人の解釈に任せられ、どの側面が(ただのプライベートでなく)共同体で明確にされるべきか。

それを明らかにしようと、私たちは床に線を1本ひき、各自が自分の立場に従って線上に立つようにした。意見を異にする人に向き合うのか、それとも背を向けるのか、身振りが明瞭に物語っていた。参加者にはそこに立った理由を短く述べてもらった。意見の違いにも関わらず、ほとんどの参加者は背を向けなかった。

意見の隔たりは大きかった。しかし私たちはみな、壁にかかった十字架のもとにいることに気づいた。

違いにも関わらず一つにされる

その後、重要な気づきを記録して、長老や説教者らと議論を重ねた。彼らはすべてのことに同意するわけではなかったが、これを会衆に示して話し合うことについては一致していた。  

大多数が同意し、この文書をガイドラインとして受け入れた。文書は教義についてのものではない。「愛し合うカップルにどこまでゆるされるか」という問いに直ちに出せる答えなどない。文書はむしろ、一教会として私たちが歩んだプロセスで得られた気づきを示すものである。

他の教会の指導者がこの文書をほしいと言ってくることがあるが、私たちは安易に分かち合うことを差し控えている。プロセスが非常に重要だからである。各々の教会がこのプロセスをふむべきである。プロセス抜きに他の教会の結果だけ採用しても役に立たないだろう。

振り返ると感謝すべきことも多いが、つらい経験についても沈黙したくないと思う。このようにして教会生活を変えていくことは困難だった。私たちは、言葉にしていることを生き方で示すことができなかった。人々は傷つき、対立は今も残っている。生活の明るい側面を語る方が、暗い側面を語るよりも簡単だから、と謙遜にならざるを得ない。だが、どちらの側面も私たちの教会の共同の経験であり歩みであるには違いない。「共有の確信」は「神の恵みにより」という言葉で始まるが、私たちはシャロームという大きな目標を見据えて前に進むのである。

この過去の経験をふまえて、いま私たちはお金、富、献金という新たな難題に取り組んでいる。いずれ他の倫理的問題もきっと突きつけられるだろう。そのつど私たちは聖書から始め、これを「信仰と生活の規範として受け入れ、聖霊の導きにより」ともに解釈する。

  こうして私たちは生涯を通して学び続け、手間のかからない答えに飛びつくことなく、ともに答えを探り続けるのである。

エマヌエル・ニューフェルド氏は、スイス、ムッテン在住。シェンツリ福音メノナイト教会牧師。

 
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